***05.apr.2006
先月問題として浮上した尊厳死(安楽死)問題について、ALS患者の方がコメントしている場面をテレビでみた。私の友人もこの病だ。
その友人と出会うきっかけになった友人の父上はこの病で他界した。父上とのコミュニケーションの取り方を、友人は考え、医療体制と闘い、いずれにしても父上が苦しむ姿に苦しみ、父上亡き後、同じ病で同じ医療施設にいたその人とであった。
私が今の仕事、インターフェースデザインの教育現場で最も関心を持っているテーマなのだが、はがゆいほどに、何もできないまま病に追い越されて行っている感じ。でも彼女は生きている、わずかな呼吸、わずかな光、わずかな循環でも、彼女は生きている、それが救いだ。
強い彼女の意思が選んだ優秀な技術により、彼女の強さから教えられることは多い。いつか、何か、それらを超えて役立てることができればと思う。
そのことは、アーティストとしてのポジションにも影響している。誰もとめることができない、なすすべもなく見送るしかない。
そのこと『閾』に見たかの人は、今はこの世にいない。もうすぐ、彼女が去って一年がたつ。何かをすべきか、すべきでないか。きっと、私が、嫌だなあーと思う人たちは、また大声で彼女の名前を語り自分の名前を署名するんだろう、ああ、いやだ。
人の態度はどうでもいい、といいながらも、オマージュなんて搾取でなくて何だというんだ。あからさまであることを最も拒んできたんだ、このまま拒み続ける、大きな声で血圧高くプロパガンダしなくても、普通の人間のするやり方でなく、植物のやり方で、きっと、伝わるのだ、しみじみと。
なぜか改めて所信表明になってしまった。
...a day before.....*+*+*+*+*....a day after.....