***06.apr.2006
暇になったらやりたいことを考えた。暇だからやるべきことと、暇だからやるなってもんじゃない、ってことがあるんだ。
忙しいから何かができない、っていうのは能力がないだけの話。私の生きている時間には寝てる時間も含まれてる。寝なければ起きている時間が長くなる、という平坦な割合論は去年の常習性角膜上皮剥離で崩壊、目を閉じる時間を定期的に確保しなければならないので目を開けている時間を濃くすることが必要になった。
で、何をするかというと、車を買って以来2年、ガソリンを入れるたびに走行距離をメモしてる、それをグラフにして燃費の推移を見ること。
趣味でそういうことしてる人はたくさんいると思う。そういう、暇だねえって言われることに没頭して、毎日グラフを眺めて、考え事をするのだ。
それは為替レートのグラフを眺めて考え事をするのと似ている。理科年表を眺めて考え事をするのと似ている。
それから、25年くらい前から集め始めたチラシをもっかいセレクトして整理するためにもっかい一枚づつ眺めて過ごすのだ。
それから、刺繍したい。ミシンであそびたい。それからそれから。
結局それやって忙しくなってまた、暇になったら何しよう、って思い始めるんだろうね。
スチャダラバーの歌の一節
ヒマだねえ、ってよく言われる/ヒマで悪いか/ヒマが嫌いか?
いやいや、ヒマ好きです。ヒマだねえ、ってちょっぴり嫉妬もはいってるんだよ、うらやましい、そんな生き方を選べる強さが。
ヒマつぶしにぼんやりと木の葉を眺めてることがエンプティなんじゃない。
そう、肝心なのはエンプティさ。
そして、よいエンプティさ。
ランクロ先生が言った。そんなふうに忙しいだけの時間を過ごしていると10年後には空っぽになるよ。
そうだ、そう言って欲しかったのだ、誰かに。それはグサリと心につきささり、相変わらず反省のない日々が続いているけど、意味は変わり始めてるはず。
10年後の空っぽは、きっとよい空っぽだ。ほんとうの暇、からっぽのスケジュール、ありあまる時間、エンプティな銀行口座、からっぽのメールボックス、からっぽのアタマ。
素敵だ。そして繰り返し心に唱える、奥田民生さんの「すばらしい日々」をちょびっと間違って覚えた勘違いフレーズ。
すべてを捨てて僕は生きてる/君は僕を忘れるだろう/その頃には君に会いに行ける
そう思って生きてるけど、会いにいくべき「君」を僕は思い出せなくなっているかもしれない、と最近は思う。それはよいからっぽなんだろう、きっと。
...a day before.....*+*+*+*+*....a day after.....