***28.jun.2006
夕方から、うちの院生が別の授業枠でオーガナイズして、霜田誠二さん、東京造形大学にてレクチャー&ワークショップ。
ガンバル2年生のデザインをディレクションしてようやくヤッター感の笑顔を見て教室を閉め、19時半頃、霜田さんのワークショップを見に行く。 もう終了間近の時間でいきさつははかりかねるが、2分考える時間を与えて次々に、一人1分のパフォーマンスを披露する。感心したのは、参加していた20名のうち誰一人としてもじもじして出渋ったり、友達と馴れ合いのテレ笑いを見せたりせず、間髪あけずに次々と、前に出てアクションしたことだ。
最期にシメとして、霜田さん自身がアクションをした。座って見入る人と見せる人の距離感とか立ち位置といった話をなさっていたのだがとりとめが無い感じがしてきた頃、じゃあやります、と言って、いつものアイドリングのように、ポケットの物を出したり、腕につけていたものをポケットにいれたり、やや落ち着きの無い感じのインターバルのあとふいに、がちっと真剣な表情になってそのまま、指と指を張り合せ顔と張り合せ何かをしようとしている仕草をたどるような仕草…10分くらいそうしていただろうか、 誰もが、何をしてるんだろう、次にどんな展開が、最期はどんなオチで、といったふうに見つめている中、唐突に、空気が途切れておしまいを知った。
そのあと軽く懇親会。参加していたうち院生はみなクールに帰宅、もぐりにきた学部生ばかりが12、3名、目をキラキラさせて、いた。
この柔軟さが世界を開くのだ、と思う。うちの院生も、そうだ。NIPAFのセミナーに行くかどうか迷っていて、どんなことするのか、どんなかんじなのか、と言ってたら、公演直後の忙しさもあって、険もホロロに「迷うんだったら来なくていい」と追い払われた。 このとき一緒にいたもうひとりは、公演のうちいくつかの作品のショウとしての完成度に不満があり疑念を抱いていたので、その後、この途は削除した模様。でもこっちのひとりは、疑いではなく迷いだったので、結局、行った。そして、目をキラキラさせて帰って来た。どちらも才能ある子。それぞれの方法で扉を開くのだと思う。
私が初めて霜田誠二を見たのは18歳のある晩、ブラック&ブルーにおもしろい人が来るってヨウさんが言ってるから行こうぜ、と友人が窓をたたいて迎えに来たので、何だかわからないけど行ってみた。それまでにも小立野の地下広場で実験映像のあれこれだとか、パンクでまさにアンダーグラウンドな表現を見始めていた頃だけれど、 それはもっとも強く静かで雄弁で固唾をのむパフォーマンスで、いくら素晴らしい表現者の舞踏を見重ねても、あんなに、からっぽな、もの派な身体は、以降、ないのだ。
かつて会社や社会でまっとうに生きて行くことに関心ないふうだった大人たちが私に窓のありかを指差したように、私はかつての私のような他人の子供に窓のありかを指し示す。時に、窓を開いてみせる。空気を吸って外気に触れさせる。その先へ飛び出して行く人もあり、別の窓を探す人もある。
私は窓を差し続けるのだ。

...a day before.....*+*+*+*+*....a day after.....