***28.dec.2005
門司港ホテルの部屋、海に面した窓にはカーテンがなく、朝早く目覚めたら空はやうやうしろくなりにけり。 正方形グリッドの大窓をフレームに、ひろびろとひろがる空の色を受けた関門海峡を大船小舟がゆっくりと、フレームインして、アウトしていく。おだやかで美しい、夢見心地な時間が惜しげもなく過ぎて行く。朝食ミーティングに降り、レストランのしつらいを眺めながら別レイヤーで宿題に持って来ているデザインのパズルを動かしていた。ああ、そうか、と思い至る所有り、ほんとはもう少しコーヒーとジュースを味わいながらまったりとしたかったのだけどカプチーノ二杯で切り上げて部屋に戻り、しばらく海を行き交う船の軌跡を眺めて、よしっ、と。 やや頭の上のほうで浅く処理していたパズルが、すうっと身体の中に降りて来て丹田から指先までエネルギーが伝導した感じを得て、窓の景色にビデオカメラをセットして、ノートを携えて湯船につかりながら決めかねていたディテールのドローイング。途中でうたたねし、まどろみから浮上して、描いたものを読み返し、スジが通った気がしたので瞑想終わり。部屋に戻るととっくにビデオテープは終わっていた。相変わらず窓の外はみずいろの空に白い雲、紺色の海に色とりどりの船、そして白い波のすじ。
アルド・ロッシ先生の空想は予めここに立っていたけれど、実際に見たのは更地と直接の海。自分と空の間にこの建物を置いて、心を室内に飛ばして眺めていたことと思う。この正方形グリッドのフレーミングも、室内包囲光と青空光のあわい、フレームの内外の光と影のコントラストも。けど現実として、内田先生にコントロールされた空間に泊まって夜と朝と昼の時間を過ごすことはなかった。ああそうだ、だから、わたしたちはたましいになった先生の目をひきついでここで時間を味わい、眺めを経験しているのだ、できるだけたくさんの、生きている目がこの夢のような景色を経験に取り込むのだ。ウエブカメラみたいに。
3度目にして4年振りくらいの滞在、今、このときにだから、このホテルの意味が身体に沁みてきたように思うのだ。えっらそうに。でも本当に。出張とかでなく、ここに来るためにここに来て、ひなが空と海を眺めていたら、詰まってしまったことが溶けるだろうってわかってる。門司じゃなくてさえいい、アノニマスな土地の、どこでもないここ。 凄みとは、瞬時には気づけないほどの静けさ(平坦さ、差異のなさ)をもって時間をかけて浸潤し、陰ながら閾越えに導くものかもしれない。
博多に着くとすっかり俗世気分に支配され、明太子の微妙な差異に心駆られてあれこれと買う。懐疑的ながらも「赤い恋人」という商品名の明太子蒟蒻(カルパスみたいなソーセージチューブ状)も購入。
空港で親類にお昼をご馳走になり、お土産をいただいてフライト。次回は親類の一人が経営に乗り出した、博多とんこつラーメン店に行くべし。
before.....*+*+*+*+*....a day after.....