***25.july.2005
このごろ朝の音を聞いて朝の植物を見てから休む。しばらくはできるだけ安静にする、植物と呼吸をあわせる日々。今日も朝まで原稿に目を通しコメントを送って、次のことを考えようとして力尽きた、ダメな一日の予感。
夕方、岡本太郎さんのメキシコで発見された壁画をテーマにした展覧会のレセプションに出かけた。向ケ丘遊園の駅に着くと大粒の土砂降りでみんな雨宿りしていた。タクシーで民家園の麓まで行き、まだ大雨の坂道を歩く。雨に打たれた緑が生き生きとして喜んでいる。この坂道を2年半前、通った。「私たちが通った場所には」うん、やはり、嵐じゃなく静かに空気がたたずんでいる。そして今ではたっぷり茂ったメタセコイアの林を抜けて、昼間焼かれた石が雨に冷やされスモークがたちのぼっている階段を見上げながら、なつかしい気分で登る。まだ雨が降っていて雨宿りがてら残る人が多く、閉会時間間際に着いたけれど展示を見る時間はあった。久々に常設展の部屋にも入ってみて、フィギアの太郎さんの目が動いたような気がして、もっと動かないかな、としばらく見つめる。 企画展も見所が多くあり、改めてゆっくり見に来ようと思う。雨が上がったので閉館する旨のアナウンスが入り、人もまばらになったパーティ会場をちらと見る。いつもみんなに囲まれてにこやかに華やいでいた敏子さんの姿がない、何か、核を欠いたような風景。そういえばこの場所に来るようになって彼女の声を聞かないのは初めてなのだ。村田館長のエッセイもその喪失感を埋められずにいる。ほんとうに、ほんとうは、この展覧会にもいなくちゃいけなかった。
旧知の人に短く挨拶をして、何か、足りない、でもこうして毎日個々にこの建物はあり、、、と考えながら、再びメタセコイアの林を眺めている途中で、先頃初写真集「熊野詣」を出版したばかりの今井さんと、ご一緒だったフォトジャーナリストのトーラスさんと写真美術館の神保さんと合流し、登戸の鰻屋さんまで歩いて、アートディレクターの塩沢さん、arcという雑誌編集長の東郷さんと合流。いろんな面白すぎる話(議論)を尽きることなくして4時間以上もあっという間、そうして、そこに彼女はいないけど、いる。ということを得て、これからはこういうことなんだと思った。「夜の会」にかわるものとして「朝の会」を始めようか、という話をしておひらきにした。途中、お年を召した板さんに「鰻のたんざく」を二本注文したら、しばらくしてうな重が2箱出て来て、あんたがうな重の上ふたつって言ったろ、というので笑って、おいしくみんなでつついた。何だっていいんだ。思い通りにいかないことを楽しもう、しかもちゃんと「上」に聞き間違えるところがちゃっかりしてる。
「ある朝、大人3人で抱えきれないほどの太さの大木が、リーフに囲まれた湾の中に漂着した」「ウミヘビに巻き付かれ、岸に上がっても水面から鎌首上げて見ていた」「置き網にかかったメスのエイは、少し前に網にかかったオスの行方を探しに来た」「あなたの心の中の仏を消せ」「それは…本人に聞かないとわからないよ」「そんなもの私のような老人がどうやって持ち上げるんだ」さて、後日私はこれを読み返して何の話だったか思い出せるかな。
...a day before.....*+*+*+*+*....a day after.....