***03.july.2005
欧米での7月2日、ライブ8があった、らしい。ライブ・エイド世代としては20年も経ったんだ、と人生の終わりをしみじみと感じたりする。ウッドストック世代にはどうなんだろう。それぞれの狭間の世代にはどうなんだろう。いや、世代なんてものはなくて、熱の盛り上がりが「世代」なのだから、永遠にロック、ああなに言ってるんだ。ハイ、乗り遅れてるだけです。
世界五ヶ国に日本は数えられていなかったようだけど、日本でも開催したんですね。金沢でのマシュー・バーニーの個展にあわせてビョークも来日してライブに出るって聞いていたけど。だったんですね。 >http://www.live8.jp/
幕張メッセで、というのがすごくカッコ悪いけど、それが日本です。参加することに意義がある、そう、いろんな意義がある。
去年だか、夏のライブ・フェスティバルでウルフルズの人たちが、The Whoのことタメに語っていて、え?何ですって?って思ったけど、今回そういうおイタをする人はいなかったかしら。
「ほっとけない」http://www.hottokenai.jp/
ハイ。でも300円でホワイトバンドを買って身につけアピールすることより、なんでもいい、身近にある白いリボンを腕に巻いて300円全額寄付したほうがいい、ような、気もする。実際キャンペーンしている世界の国々のうちには包帯を巻く、というところもあるらしい。白がしんぼるなのだそうだ。でもHPを見ると、制作原価に約3割、流通にかかる経費が約4割、 残りの売り上げの約3割が「世界の貧困をなくす為の活動資金」って、このキャンペーンに便乗して収益をあげている企業なりが7割もっていくってことじゃないですか。効率悪くないか?なんで彼らの工芸で作ったものを買い上げる、というような、誇りと教育とその後の自律の種をまかないのだ? と思わないか?どうしてフェア・トレードじゃなく、アンフェア・トレードなの?んで、なんで、シリコンなの?んで別の口では環境問題を言う、矛盾した先進国住民のエゴ? たくさんの人が、意識する、ことが大事、そう、そうなんだけど、意識する、ことを表現にしているのは、どうなんだろう。例えば、アートや音楽やデザインがメッセージを伝える、けど、現地で土を食むことがリアルなんじゃないのか、って思わないでもない。
私はこんなにいい人です、僕はこんなにきれいな人間です、っていうアピールにすり替わっていないか。当事者でない者のエゴが、そこに、ないか。その品物を作るための材料、燃料、労働に矛盾はないか。
人知れず、世界を変えようと、世界に参加しようと、する者がいるはずだ、人知れず。だから誰も知らない。でも、そういう真実があることを、知っている。信じてる。だから僕は、ホワイトバンドなんか買わない。
英語で歌う、日本語で歌う、それぞれの親しんだ言葉で歌う。でもアフリカの人の言葉で語る言葉はなく、自己表現をクッションにした慈悲エゴになっていないか。
みんな善意なのだ、善意、善意。善意という暴力。善意という自己主張。善意という自己表現。
だから、災害が起きた時にお見舞い意思表示をウエブにアップするなんて、自分は、しない。イラク戦争反対のデモには参加したけど、反対表明サイトには参加なんかしない。考え抜いてそれしか思いつかない人の善意の行動を避難もしない。それはそれで美しいことなのだ、善意は信じるものなのだ。ただ、それに乗っかることで一種のクラブ意識が生まれることが、気持ち悪いのだ。
自分には全然行動力ない、だから、霜田誠二さんの生き方を素晴らしいと思う。そして、無理をしないで、僕のやり方でエールを送っている、つもり。それは、パフォーマンスを見に行く、という行為で。あるいは、人に伝える、という行為で。真実めいた正義を口にしながら、泥臭い、有象無象のものには関わりたくない、キレイ好き・カッコイイ好きのお姫様、王子様ジャーナリストがムーブメントを操作する(かのような)アートの世界でも、勝ち馬の尻に乗っかることを善しとせず、自分の足で歩き、 自分の目で見る力のある信頼すべきジャーナリストもいる。ジャーナリストのように発言権のある立場でなくても、目利きのファンやオーディエンスはいる。そういう人たちは、静かだけれど、長いスパンで時間をたぐり寄せられる。べつに人に見せるための表現なんかしなくたっていい。嘘のない目を持った人たちに(まだ数は少ないけれど)巡り会えたことを嬉しく思う。彼らを知っている、ということを誇りに思う。世界には、もっとたくさん、いるはずだ。 だから世界を広げた方が、世界を信じられるようになる、かもしれない。
もし、生きていたら、ライブ・エイドに、そしてライブ・エイトに、ジョン・レノンは参加しただろうか。
1980年頃、まだ自分の音楽ライブラリも未熟だったころ、ボブ・ゲルドフは間違いのないミュージシャンのひとりだった。U2の日比谷公会堂公演には夜行バスで駆けつけた。ソロになりたてのビョークを名古屋のクアトロに追っかけた。ポールとスティービー・ワンダーのエボニー&アイボリーは素敵だと思った。そしていま、ポールとボノがsgt.P.L.H.C.Bを歌ってる。ドキドキする。けど、ドキドキしている瞬間、アフリカのことを考えてはいないのだ。
ただのロック・フェスティバルだと言ってくれ。かつて、森林保護のキャンペーンでアメリカ少数民族の首長とスティングが世界をコメントして回ったとき、スティングは、有名人である自分を使って耳目をこの問題に向けさせるのだ、と言っていた。stingになってもThe policeらしい、シニカルで的を射た発想だと思った。商業音楽の世界における自分の位置を冷静に理解している。ライブ・エイドにもエイトにも参加してるけどね。

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