**20.jun.2005
いろんな記憶が交錯して、ひとつのことを捕まえて一から十まで数え直す、時間を、次にめりこんでくる記憶が遮る、そんな感じ。だから触れようとしたすべてが断片化したまま放置される。
カーラジオを聴いて移動する。車でラジオを聞く、んじゃなくて、カーラジオ、カーラヂオかな、無口な移動時間、人間の喋る声をききながら、どこで寄り道しようか考える。こちらの意思とは関係なく展開される番組や会話は願いもしない音楽をただ耳がとらえて、いろんな連想がめくるめく。聴いたことのない曲だけど、この声は、サイケデリック・ファーズのバーナード・バトラーの声みたいだ、とか。実際を確かめることにあまり誠実ではないので、それがファーズの新曲だったのか、ほんとにバトラーだったのか、長いことロックから離れて聴き分けの閾値がさがった(=モーロクした)だけなのか、わからないまま、こんど、いつか、どこかで、覚えていたら調べてみよう、と、不誠実に思う。
20年近く前、一体自分はどんな趣向をもっているのか理解してみようと思って、いつのまにか新しい刺激に洗い流されていく「お気に入り」の記憶を留めておこうと、見たこと、聴いたこと、読んだ本、いろんんことを書き留めていた、その蓄積から果たして言葉でくくれる趣向など見えて来たのか。いつの間にか、忙しさと怠け心で記述をさぼりはじめ、またたくまに覚えきれなくなってなしくずしになって相当年数が経つ。
いずれ、記憶していない自分を意識することさえできなくなる時が来るんだろう。その時、どんなキーが記憶のエンジンをかけることになるのかな。案外、カーラヂオから聴こえて来た知らない人のなんでもないフレーズなのかもね、だとしたら、何だか何千円も払ってコンサートに行くのも何だかふがいないなあ、と思う。

...a day before.....*+*+*+*+*....a day after.....