***17.may.2005
近くの大きな公園を散歩した。はじめは木漏れ日の影の揺らぎを目で楽しみながら、それと対になって注ぐまだらな光エネルギーをそれと感じ取れるように感覚をしずめる。
それから一本一本の木の幹に手や頬や耳で触れて実在するものを確かめてみた。いくら見ても見る以上には見えないこと、触れても触れる以上には触れられないこと、聞く以上には聞こえないこと、が行き止まりのように感じられる間は、見ることしか、触れることしか、聞くことしか、できていないんだ。味わうことも、香りを嗅ぐことも。そういうモダリティを超えて心にダイレクトに響くように、ほおっておくとどんどんたまって響きを鈍らせる澱をはらって心を空っぽのうつわにしておけるように。
フィジカルにそれらを充足することで実感するよろこびもあるし観念だけのほうが自由なこともある。記憶を宿す、はっきりと実在する物を残すのじゃなく、、、そのモデルを外在化してre:receptしてみたいと考えている。
もう世を去ったあの人の直観が、わかるわよ、と威勢のいい声で訪れるのは幻想だけれど。

...a day before.....*+*+*+*+*.....a day after.....