[eternal flowers]シリーズは、photo(光)でgraph(記述)された“遠ざかる画像”
サイアノタイプ(cyanotype:青写真、日光写真として知られる写真技法)の化学反応過程を現象として提示する時間的試みです.
それは“自然の鉛筆”で描き出される偶然的必然のふるまい
[暗闇で調合された物質と水]と[液体と固体の間の状態にある前・和紙]の混じりあい、
[太陽光の角度と気候による短波長紫外線量]、
[ Lucies (in the sky with diamonds) ]*(ストローの構造体、初出『Empty Garden』展,1999,ワタリウム美術館)の色・形による遮蔽率・集光率等の与条件が
相互に影響した一瞬…の痕跡です.
はじまりの遭遇をうながす“わたし”は暗闇のなか、和紙の上のできごと
…液体と固体と気体、物質同士のひそやかなささやき…
を感受する新しい感覚器官になって物質の単位の世界に沈みゆきます.
そうして空を感受させて水に浸すと、 和紙の上で口をつぐんでいたものたちが解き放たれ、 夢のように鮮やかな青い陰のなかにささやきのひみつが空間としてたちあらわれるのです.
出現した青い陰は“適切な現象時に”停止・定着させる工程(健康維持、延命、すなわち時間への抵抗的人為)を施されず、人間には気づけない速さ(遅さ)で永遠に変容を続けていきます.
それは、ひたすら自然ののぞむところ…力の弛緩した状態に向かう姿、一切の宿命を無抵抗のまま受け流し、猛烈に生きている消えゆく過程です.
生きとし生けるものもひとしく自然の一部のありようであり、そのありようを構成する物質の、さまざまなレベルでの単位において、結実(fruits)未然にして花のままただようものたち;[ eternal flowers ]なのだといえましょう.
生命の時間は先へ、進みます.
“現在”は常にほころび、かすれ、再生されなかった記憶の残骸として歴史の闇に沈殿します.
人間の感覚器官は、未来に刺激として感受される事象の発生から時間的にも空間的にももっとも遠い積層を覆う薄い皮膜を感知します.
その表象を失ったとき、皮膜の向こうにあって皮膜をそこに押し上げていたなにか、に届く新しい器官になりたいと、なにを望めばよいのかわからぬまま、もとめたことは、ありませんか.
けれど生きている時間のうちには、千の針穴を貫く光を垣間みる一瞬があるでしょう.
忘却の淵でかすかに佇み、近づこうとすれば遠ざかる記憶の景に陰は無く、光だけで描かれているから瑞々しい.
本展の[eternal flowers]には[or kite]凧、を追記しました.
和紙の上に沸いて陰を染める光は、太陽を浴びたかの日、水の中にはじめて解き放たれた生まれたての青のすがた.
凧は、常世と現世を通す術. 空に浮かぶ、千の針穴をひとすじに通すただひとつの位置を忘れないためのしるし.
“わたし”が知覚するから世界は存在する.
“わたし”が知覚しなければ世界は存在しない、のか.
知覚の閾を問う.
この幻が、あなたの凧を現前させる力となりますように.
合掌.
installation: Cyanotype on handmade Japanese paper with [ Lucies ](straws artworks),Optical system corresponding for human activity and preceptual threshold. with 3D image sensor, digital images of [eternal flowers ](cyanotype artworks) and 3 projectors.
Yumito Awano cooperated with GK Tech Inc +Awagami Factory.
All pictures except 8th(24@Tamiko Kudo) were taken by Yumito Awano.@ xo_ox.lab.factory.