+++ まちとみせ +++
※本稿は日本色彩学会主催フランス研修旅行についての報告会講演(環境色彩研究会主催)概要として、日本色彩学会誌に掲載されます。


 現代の都市に暮らす人は毎日何らか経済活動に関わっている。種々移動や金融、行政、医療、文化、文教などの施設利用があるが、最もそれを意識する場所は店舗だろう。商業建築設計に10年余従事してきた自分の経験から、街における店の機能は常に観察視点として関心を持つ対象である。最近は、これまで物販、飲食、サービスに大分類されてきた業態の新たな組換えを興味深く見守っている。近年急速に普及した電子通信網により、商取引のための場、例えば店の姿は多様化し、コミュニティの生成に変容が起きている点は同意いただけよう。そして、歴史という螺旋形に展開する時間系列を文化とみる考えからすれば、この流れは斬新というよりはむしろ古代の起源に重層しているのではないかと思う。

 魏志倭人伝によれば弥生時代には文物交流の場が市(いち)として存在し、宝物を大衆に開陳する展示の概念があったとされる。市の原型は「人なし秋ない」といって、神すなわち異界の存在との交易のため、境界に供物をそなえる壇(たな=棚)を設えて依り処とした場に見出される。お互いに直接の対話は持たなかった点で、現代の無人販売に通じ、自動販売機や通信販売誌面、電子画面が壇にとって代わったといえようか。次に、交換市は不定期から定期となり、仮設の小間は常設の常見世(とこみせ)となり、今日の店(たな、みせ)への流れを形成する。この過程でみせは品物だけでなく情報の交流拠点としても機能し、芸能、文化の発展を支えてきた。人が集い交流することから生まれる新しい文化のエネルギーは、市の流れにある座(ざ)に起源を求めることができる。近代、外食産業の誕生とともに、不特定多数の他人と飲食空間を共有し、即応性の交流を可能にするカフェがその場をひきうけてきた。現代では電子仮想空間にもその流れを引き継いだ場がある。これらはしつらえよりも、短い周期で集散する人々の集合によってつくられる場といってよい。それゆえ、通りすがりの喫茶店、レストランでの人々の居方(いかた)が、極論すればその街の文化を教えてくれる。

 店舗の構えが広告の役割をも担い、街全体の美観保持よりも、刺激的に耳目をひくことを優先した時代を終えて、特に今日の観光都市ではその傾向は鎮静化し、店本来の意味が簡素に提供されているように思われる。これらの事象は物質性を伴うインフラストラクチャーの行方を考察するひとつの鍵になると考える。

 以上のような事を考えながら歩いたフランスの各都市の街角を例にお話しした。私見に対して、皆様のご意見、ご批判をいただければ幸いである。

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[ 15.aug,2000]