***25.jun.2006
鼓の大倉正之助さんが、若干19歳!で名を馳せるエルダー・ジャンギロフのトリオを紹介する午後のコンサートにお呼ばれした。コンサートの後、お菓子をいただきながらしばし懇談のひととき。と、大倉さんが鼓を持ってきて客席でゲストに説明している。徐々に大倉さんの回りに観客の輪が出来、デジカメの液晶画面の輝きがいたるところで。何だか、来ていたお客はほぼ大倉さんお目当てのようで、かくいう私もそうなので、もしかしたら打ってくれる!?と期待満々。この輪の外、サロンの一番後ろの壁際で日本人女性に話しかけられていただけのエルダーさんが大倉さんに呼ばれて輪の中心にはいり、鼓を打つ手ほどきを受けると、デジカメやらケータイやらもう撮影の嵐。さっきまでトリオでドラムたたいてたクラプトン似のドラマーもケータイカメラを向けている。ひとしきり、このショウがひくと、大倉さんがエルダーになにやらゼスチュアをして、なんと、急遽、ピアノと鼓の競演に。思わぬハプニングに一堂どよめき、着席。静まり返る中、イヨォー、ポンと大倉さんが先陣を切り、イヨォーの声を拾ってコードをまさぐりながらエルダーの指先が、サマータイムらしきコードで変幻自在に追いかけて行く。私は月に向かって吠えるコヨーテのまねをしているヨーゼフ・ボイスの姿をずうっと思い出していた。なぜか、大倉さんの唄のイメージが満月だったのだ。いつものように、いかつく固めたオールバックに、全身黒のうえに白い細身のジャケットという伊達な出で立ち、左足を前に踏ん張る姿勢は和洋の境をもっと抽象にするようだった。 どうも、エルダーさんのほうに能楽器のイメージがリンクしていないようで、鼓に伴奏をつけている感じ。まあ、そこは倍以上の芸道経験の差によるものか。いやはや、能楽というものは特異なものだと改めて思う次第。
さてこの場所は赤坂東急キャピタルホテル。1966年6月29日に来日したビートルズが宿泊したことでつとに有名。ということでビートルズの写真パネルが展示されていて、展覧会もやっているというので見に行くと、結婚式の控え室的な部屋が並ぶ廊下の一番手前の一室で、ビートルズ・コレクターの岡本備氏によるコレクション展が開かれていた。こういうの見るの久しぶりだ。ビートルズ考現学である。
中学生のころ、まだメンバーは皆生きて、次の活動をしていたから、ビートルズ復活祭なるイベントがあって、行ったことがあるような、ないような。記憶があいまいだけれど、豪華版レコードを買って、特製ネックレスを手に入れたことを覚えてる。
それにしても、やはり同時代の人というのは強いな。私は遅れて来た世代だから。花王が大株主なのか、来日公演@武道館のチケット5000枚も懸賞に出してる新聞広告や、sonow氏のものなのか抽選漏れの葉書には「22万何千人もの応募をいただき…」とある。若き日の浅井慎平さんが撮ったという、赤パン姿で廊下を歩くジョンの後ろ姿がほほえましい。 2年ほど前に、DICがサイケデリックカラー特集のような感じでビートルズからみの展覧会をしてくれたけれど、うっかり行ったビートルマニアには、愛も尊敬も感じられない展示に失望どころか軽く怒りすら覚えたものだったけれど(その前に、MOCAで本場本家のサイケデリック展を見てきていたので、サイケデリック・カラーへの踏み込みも、ビートルズの読み込みも薄く感じられた)、その苦々しい思いから、こういうところでやる展覧会は時間の無駄かも、と実は疑心、ひやかし半分だったのだが。いやー、愛がありました。コレクターご本人がいらして、大学生らしき若者に熱弁を振るっておりました。熱い、愛と尊敬と人生を捧げた情熱を感じましたよ。某博物館との違いは、遺品展示か、生きている(ビートルズの)証か、ということだ、と熱く語っているところが聞こえました。たぶん、若者はうなずく以外何もリアクションできない状況だったと推測されます。
というわけで、まあ、こういうものの存在は茶化す人も多いのでしょうけど、誠意ある展覧会だったと思います。中学生だった私は既に大人のマニアの人を超えられようもないことを早々に悟り、モノを集める方には向かわなかった。それよりお金のかからないこと、歌詞を読んで世界観に旅をして英語と日本語の対を覚えた。だからよく知らないのだけど、sonow氏はたぶんその筋では有名な方なんだと思う。
うーん、寺井の「松井秀喜・野球の館」とか「落合記念館」なんかも、好きな人にはどれも宝物。そうでない人には茶化す以外に取り付く島のない存在なんでしょうなあ。 ...a day before.....*+*+*+*+*....a day after.....