***19.jun.2006
先週から”テポドン2”が日本に向けて発射準備されているとの知らせが、ワールドカップで浮かれた報道の裏に、表に持ち切りである。サッカーに勝つか負けるかも緊張するが、こっちの緊張はもっとただならぬものだ。Dr.strangeloveの一シーンを思う。飛び出したミサイルはどこに落ちるんだろう。今この空から屋根を突き破って落ちて来たら。早いところ身辺整理をしておかねばならない。そういいながら、いつかやろうと思って脇に置いている事があまりに多い。3ヶ月も気にしながら先に進まない原稿を、今仕上げなければ…。これが絶筆になるなら…。「何」として最期を迎えるんだろう、とか。そして、コブラボールットかいう、軍事マニアや航空マニア心をくすぐるかっちょいい名前の偵察機がミッションを受けて飛ぶ。ミサイルが発射されたとたんに軌道計算をして着弾地点を割り出すの出そう。すごいな。一束の野菜を売って何十円かを儲けるのと同じ世界だろうか。”テポドン”という響きが、イグアナドンみたく恐竜の種類のようだったり、ピカドンみたく爆弾のニックネームのようだったり、する。本当の地獄も恨念も知らないヒヨワな自分には状況がよくつかめない。
迎撃ミサイルと言えば、ノース2号。『PLUTO』の続きが気になるのだが、そのために漫画コーナーを徘徊するほどのデザイアはない。『20世紀少年』も話まとまったら見せてよ的な気分になってきた。最近自覚しているデザイアの希薄さというのは、関心の消滅ではなく、信頼して待つことができるようになったということだと思う。ゴドーを待つ時間に耐える術を知ったということか。
だからといって何ヶ月も原稿書きあぐねるのはいけません。自分が編集者だったら、書かないのは書けないんじゃなくて書きたくない何かがあるんだ、と察します。これはいけません。才能がなくても、たいしたことがなくても萎縮せず厚顔で、締め切りに間に合う事が一等大切なのです。現に、いかにもそれ、という仕事が世の中の標準になってる。難しいのは、才能がないからその程度、つまり、目一杯やってそれ、なのか、間に合わせ仕事だからその程度なのか、遠慮や礼儀もあって何ともいいがたいということ。
一般的には定刻にタイムカード押したらタバコ吸ってるだけの社員のほうが、出社前にメール仕事しちゃって遅刻してくる社員より評価されるのです。そこに姿がある、ということが管理者を安心させるのです。ドライにいえば、それがセルフマネジメント能力なのかもしれない。そうして、どぉーーでもいいような仕事に経済が動いているらしいのだ。茶番である。でもその思慮浅さが幸せの原動力なのかな、という気もする。
きょうもいつもの猫がベランダで、時々寝相を変えながら、ひたすら寝ている。
テポドンが今落ちてくるのはちょっと困る…。

...a day before.....*+*+*+*+*....a day after.....