***15.jun.2006
新見隆さんの展覧会最終日にて、訪問。千鳥ケ淵に面した新しめの高級そうなマンションの1階にある、はじめて行ってみたギャラリーだった。
新見さんとは、1997年、柳先生の展覧会準備を手伝っていたときの担当学芸員さんとして知り合った。時々、日々の食卓のイラストエッセイを見せてもらう機会があり、おもしろいなあと思っていた。コーネルばりのコラージュや箱の作品を作っているのを知ったのは少し後のことだ。ハギレを使ったダダ人形(?)を作っているのを知ったのももう少し後。学芸員というのは他者を研究する学問の人だと思っていたが、彼は、確固とした自分の世界をもまた持っているひとだった。いわば美術における文武両道だと思った。アンティークの書物から惜しげもなさそうに切り出された(らしい)コラージュの題材たちを、もったいないというか、潔いというか、ふんだんにそれらを見ている(のであろう)ことをちょっぴりうらやましく思ったものだ。逆に、新見さんは1999年のempty garden展のオープニングで私に再会したとき驚いていた。私も、彼が激やせしていたので驚いた。その後、2003年の川崎の太郎美術館での知覚スル装置展でまた再会し、書評を書いてくれた。
そんなふうに知っている人なのだが、おそらく彼を知る誰もが思うであろうように何というのか、一種の天才があるのだと思う。彼の髪が白くなる頃、どんな巨人になっているんだろう。物を介して創造をする、そのことを通して今ではコーネルの気持ちがよくわかる、と言う。創造は内からゼロから湧いてくるのじゃない(ような気がする)と言っていた。半分はあたり。我々は媒介者だ。半分は、そうかな、どうかな、と思って聞いていた。オマージュ、というのはあまり得意じゃない。敬愛しているということと、薫陶するという事があまり自分の中で結びつかないのだ。もっと若い頃には、夢中になれるものがあった。夢中になれるものに心を解放できたころ、サテライトのように、「それ」のまわりを徘徊していたんだと思う。ファンとしての客観性を持っていたんだと思う。今も、敬愛する対象はあれど、もう収集癖はなりをひそめ、遠巻きにながめるだけである。気持ちが全体に薄まって来たように思う。それは無関心に向かっているのではなく、いつも自分自身が意識されるようになったゆえ、のように思う。
展覧会のこと自体を描写していないけれど、たぶん、ひとつひとつ、作品として結晶したものを見て云々ではなく、作り手の全体像にふれようとはしたと思う。ゆるぎない自分の趣味趣向があるということは強いのだ。
帰りに友人を病院に迎えに行き、送る。その足で、大学に向かい、学生たちに任せているオープンキャンパスのマテリアル・デザインの打ち合わせ。みんながんばっている。家が遠い学生の終電にあわせて会議を閉めるまで21時半まで、積極的な議論とキラキラした若い瞳を見届けた。もう少しだ。
帰宅したのは0時に近い頃。いつもこんな感じだ。これから夜中まで仕事が始まる。でも今日は、新見さんにいただいた本を読む。本を読むために本を読むのはなんとひさしぶりなことか。そして、なぜ読書ができないようなライフスタイルになってしまったのか、つくづく後悔と惜念に駆られるのだ。そして、読書する人生を今後得られるのかどうか、自問した。そしていつの間にか本を落として眠っていた。
雨、結構、降ってる。

...a day before.....*+*+*+*+*....a day after.....