***09.jun.2006
今年1月の終わりに訃報が世界を巡った、ナム・ジュン・パイクさんの追悼展『さよならナム・ジュン・パイク』が始まる前日、ワタリウム美術館に行って来た。
50年代60年代70年代を同時代的に生きた方々へのインパクトもさることながら、80年代に10代から20代を過ごした者にとっても思い出深い方だ。1984年に世界におおきな異変が起きる(かもしれない)と構えていた80年代の前半。結局84年に決定的な終末が訪れたようには見えず、『バイバイ・キプリング』が放送されたのが唯一のセレブレイションだったと思う。インターネットが一般市民に普及するよりはるか前、まだVHSかBetaか、に決着がつき始め、ビニールディスクに変わって光ディスクが登場した頃。『未来派野郎』である。その頃学生でぽかんと見上げていた私たち、1988年4月22日に開館した名古屋市美術館の開館記念イベントとして、山本圭吾さん企画の中でテクノ助テク太郎がパフォーマンスをしたことがあった。この時の素材として、事前にパイクさんを突撃インタビューして録音させていただいた声と映像をサンプリングして使わせていただいた。メインでやっていたのはwakaとモロさん、私はあかねちゃんとちはるちゃんとクロマキーで抜くための一色Tシャツを着て何かしてた。
2006年6月に、13年の時を経て同じ場所で同じインスタレーションを目の前にすると、奇妙な目眩感とともに、胸が痛む。展示されている作品はどれもこれも懐かしさの刻印を持って胸の痛みに拍車をかける。ヨーゼフ・ボイス、ああそうだ、ボイス。20年の歳月が流れた。
4階の展示を眺めながら、大学生の頃この写真、ポストカードで買ったなあ、などつらつら思いめぐらせていたらインゴ・ギュンターさんが現れ、たまたま居合わせた小崎哲也さんにご紹介いただく。最近暖めていた企画があったので、この偶然の遭遇はよい兆しかな、と運命論者のようなことを思う。
ともかく、記憶の印象のなかで、カタコトの日本語で何か言って、アハハと笑うなめらかな声の持ち主は確かに一時代に刻印を残して去って行ったのだった。

...a day before.....*+*+*+*+*....a day after.....