***08.july.2005
朝から午後前半までメールと電話で仕事をして、ちょっと遅めのランチは、xが昨日から作り置きしてたボロネーズをソースにしたパスタ。一昨日から、98円で買ったレタスを毎食サラダにしているけどまだ3回分くらいある。ドレッシングも自前だから一回で15円くらいか。レストランで食べるサラダって高いんだな、と思う。去年の野菜不足の時は、レストラン気の毒だな、と思ったものだけど、good times bad timesなのだね。
非常勤の授業の後、残って頑張ってる子の質問に答えて19:30。18:00からだった学会の会議は欠席、後で会議室を片付けていたM先生の研究室で学会誌「形の文化研究」の報告内容を聞いて学校を出る。
今日は今井紀彰さんの写真集「熊野詣」シュッパンキネンパーティが青山で、内田先生が内装、浅葉先生がロゴを担当したギャラリー無門と佐藤亘さんの作陶展のオープニングレセプションが神楽坂で。いずれも大遅刻の時間なので、カチッとしていそうな出版記念パーティはごめんして、神楽坂に向かう。
用の器は手の届く贅沢、な価格で、土のあったかさを閉じ込めたお茶碗を買おうか迷った。こんなお茶碗にご飯をよそったらめっちゃ旨そう。ご飯がススムくんになってしまう。いや、少し盛ればいいのだ、とか、おかわりしたくなるなあ、とか、台所にこれが鎮座している風景を想像して迷ったあげく、こんな、ご飯がおいしくなるお茶碗は、今はイカンと思って、今日は見送り。
向かいのイタリアン・レストランで立食が用意されていて、幸い、キッシュは品切れていたけど、ボンゴレ・パスタはおいしく頂いてしまった。
散開後、ふたつ隣の「千成」に、なんとなくかたまりになった9人ではいる。魚専門の割烹というのでしょうか。店内にスッポンの白骨が数個飾ってあって、すっぽんて甲羅も骨の一部なんだー、と今日のマメ知識ゲット。にらと水餃子、お刺身はお魚をそのままさばいたものが大皿に。ここで、ひらめとカレイは右向き左向きのほかに、口がむっと小さくなってるのがひらめ、ぐわっとへの字なのがカレイ、とマメ知識ゲット。お刺身の身を平らげたら、身でだしをとってそうめんにする、とおかみさん。そういえば、お品書きの板にはすっぽんと魚と納豆卵しかないのに、お店の狭い入口に播磨素麺の箱が積み上げられていた。これが隠れ名品なのだ。まず、大きなお椀にさっきのお魚の出汁にみそ醤油、はくさいキムチで味付けたスープ。そして直径30cmはある平皿にはみ出しそうな焼き身の魚にたっぷり素麺が盛ってある。別皿に残してあった白身をひたすとなんとも贅沢な一品。というか、この席にこういう場合のバキューム役の若者がいないため最年少の不肖ワタクシが無言でその役を買う。もう一皿、還暦の先生方の席の素麺は思いっきり魚にかぶさったまま。このまま残しては板さんに申し訳ない一心で無理矢理にでも、お魚の身体が見えるまで素麺を平らげる。偉いぞ、とほめられる。ああ、さっきお茶碗をあきらめたのは何だったんだ、めちゃくちゃ炭水化物摂ってしまって、つ、つらい。帰り道、この近所で生まれ育ったという知人たちと、本屋さんに立ち寄ると、神楽坂特集の雑誌がズラリ。今キテるのか、神楽坂。
今日、いちばんいい話。同席した浅葉先生が、エディ・タウンゼントが言っていた、と言っていたこと。世界の頂上と素人の間にある「こんだけ」の差をどう考えるか、ってこと。これ、後で人に話したら芸術の世界とアスリートの世界は違う、って言われちゃったけど、僕はすっごく同じだと思う。スピード競技でワールドレコードと予選落ちの差は1秒以内だったりするのだ。競技を見ていていつも、ひしひしとその厳しさを思う。だいたいいけてるのにはっきりと駄目なのだ。私たちが届きたいと思っていることも同じ。言葉で表現する人であれば、言葉が届くか。音で表現する人ならば、音が、届くか。そして僕は何をもって届くのだろう。何に届こうとするのだろう。アスリートは、数字というマイルストーンがある。マイルストーンを、どこかの美術館で個展をすること、とか、どこかのジャーナルに載ること、とか、著名な評論家の目にとまること、とか、そんな外に置いている人もいるにはいる。それも個人のマイルストーンの置き方だからどうだっていいのだけど。
僕はのマイルストーンは自分の中にあって、確からしいものは何もなく、コーチも帆走者もなく、ディレクターもプロデューサーもなく、誰にも望まれず望まれることを望まず、もしかしたら足踏みしてるだけの旅を続けるのだ。
なんと、暇人なことか。 ...a day before.....*+*+*+*+*....a day after.....