***28.dec.2004
資材を分けてあげるため、学生さんをピックアップして牧郷ラボへ。房状に吊るされた六角Lc'sの重なりあう影と、シート・パターンのLc'sが午後の日差しを透かしてたたずんでいる。6月の「はじめまして牧郷ラボです展」からこのままにしているんだけど、来るたびに光と影の表情に眺めいり、次の空間実験…当初のプラン(光の影時計)…のリアライゼーションを思考実験して過ごす。年末なので、場所のお掃除。その間学生さんは持ち帰りたいアクリル板を延々とカットしていた。保管場所に明るいうちに着けるように車に積み込んでラボを後に。年内はこれが見納め。来年はどうなることやら。
off site(代々木)で安永哲郎さん(cubicmusic.com)のワンデイ・ワンマンショウとライブを聞きに行く。ほとんどじっとしていながら小さな部分が動いていたりする映像のプロジェクションを見つめていると眼が勝手に動きの知覚情報を捏造しはじめ、ゆっくりと膨張と収縮を繰り返す幻覚を見る。立ったまま意識が遠のく、もう少し細かくいえば、時間的な弛緩とともに空間の定位を喪失して、倒れそうになる。退屈で眠いのじゃなくて、疲れきって電車に揺られるのとは違う、この、気が遠のく感じは最高に贅沢な時間。どのくらい時間がたったのかわからない、何かフェイズが変わったのかどうかも曖昧、ともかく心地よかったのは、とても控えめで暖かい音楽のせいでもある。音が音楽として立ち上ること。友人の西村佳啓さんと、音が音楽になる瞬間について話していたとき、「 ヒトが聞く音が音楽になる」ということを彼が言って強く同意した。この場合の「音楽」は、私にとっては祝福的でも批判的でもない中庸にある「現象」であるけれども、「現象」を得た瞬間に人間はそれを文脈に置こうとする、そのことを問い続けている。刺激の「点情報」を編集して「情報化」するメカニズムから逃れがたいところに存在する人間の精神作用、その「意味づけと文脈(物語)の生成」メカニズムといかなる距離をとり得るか、ということを、インスタレーションで実験しているわけだ。
途中で外気を吸いに出て、戻ったら演奏は終わっていて、今しがた演奏しながら録音したのであろう音源がループで流れていた。
戻ったら[人間へのまなざし展]のポスター校正が届いた。すっきりしつつも色気のあるきれいなデザイン(刷り上がってのお楽しみ)で、ちょっと楽しみ。
a day before.....*+*+*+*+*.....a day after...